幕末って何?  その2

幕末って何? その1」を綴ってから随分と時間が経ってしまった。
今日はその第二弾。

 

歴史を紐解いていく場合の最初の仕事は、史実を集めることだと思う。
幕末は今からたかだか150年ほど前のことなので、公文書、史書、日記、手紙など色々なものが現存している。
そこに記されていることを解き明かすことが肝要なのだが、これはかなり大変な作業のようである。
ある文書がここにあるというのは紛れもない事実だ。
が、そこに記されていることが真実かどうかは、わからない。
誰(どうゆう立場の人でどのような性格か)がいつ、どのような状況で、誰のために(何のために)書いたのかなど、周辺事情をきちんと把握した上で検証しなければ、真実は導き出せない。
ここが、歴史の面白いところだとつくづく思う。


また、残っていないからといって、その真実までもなかったとするのは危険なことである。
当たり前だが、本当に他人に見られてはマズイ文書はとっとと破棄されている。
特に明治維新のような革命(革命と呼んで良いかは諸説あり)があったわけである。
政権を勝ち得た方も、敗れた方もその真実を語る文書は永遠に封印されたままである。
ここもまた、歴史の面白いところだ。

 

「そんなこと、当たり前だ」という声が聞こえてきそうだが、私はこの辺のことをリアルに調べ上げて、独自の推論を展開される作家先生や歴史家の方が好きである。

 

 

ここで質問。

 

龍馬さんに詳しいわけではない方でも知っている、龍馬さんの偉業は?
薩長同盟
大政奉還
海援隊の結成
このあたりであろうか。
少しでも幕末に詳しい人ならわかるはずだが、上の二つなどとんでもないぐらいの偉業である。

そこで私が持ち続けた素朴な疑問はこうだ、
「なぜ、このようなことが出来たのか?」

 

最初の頃読んでいた本には私の疑問に対する答えは、龍馬さんの人間としての懐の深さやスケールのデカイさや人を惹きつける不思議な力…こんな感じの答えが多かった。

 

 

それだけのはずがない。

 

 

そういう要素は確かに持っていた人なのだろう。しかし、それだけで数多くの偉業を達しえる説明にはならないと思い続けていた。
そんなスーパースターのような人間は存在しないはず・・・
数多くの「坂本龍馬」に関する書籍を読んでいくに従い、少しづつ真実の龍馬さんにシンクロしてきたような気がしてきた。

ま、この辺の話は追々していくことにしよう。

 

今、放送中の大河「龍馬伝」。
時代のリアル感の追及が大賛成派の私としては大道具・小道具さんや美術さんの仕事ぶりに感激している。

そして、何といっても思い切った脚本なので、すごく楽しませていただいている。
いよいよクライマックスに突き進む「龍馬」をどう描いていくのか、楽しみだ。