鉄っちゃんではないけれど。。。

先日、昨年11月に参加したセッション、ハードロックパーティーの打ち上げが参加バンドのメンバーが集まって大阪梅田で行われた。

長年大阪府に住んでいるのに以外に最近は梅田を歩くことが少なく、大阪駅や、その周辺が日々姿を変えていることに気付かなかった。

 

JR大阪駅には、たくさんの列車が行き来しているが、その車両は環状線を除き、ほとんどリニューアルされ、きれいな電車や列車が走っている。

つい最近まで国鉄時代の列車がたくさん走っていたと思っていたが、その姿を見ることがほとんどないことに今更ながら気付かされた。

 

私は、幼いころ、今のJR宝塚線(JR福知山線)の宝塚で育ったが、当時の福知山線は今のような電車で複線の10分おきに電車が走るような路線ではなかった。

単線で非電化、1時間に往復数本の列車が走る完全なローカル路線だった。 今や電車が走り、自動改札のある宝塚駅だが、当時は列車が来る5分前くらいから

駅員さんが改札を始めるまでホームには入れず、改札が始まるまで待合室で待っているといったのどかな駅だった。

 

特急列車は気道車(ディーゼル)で大阪から博多までを結ぶ福知山から山陰本線に入る長距離列車(走行距離825km 所要時間12時間55分だったらしい)があって、

新幹線で新大阪から博多まで2時間半くらいの今とでは隔世の感がある。

普通列車は客車列車で、ドアは開けっぱなしで走るので少し動きだしてからでも十分乗車することができた。(安全性を問われる現代では考えられないと思うが。。)

トンネルに入ればドアのあいたデッキに立っているとトンネルに落ちるのではないかと思うくらい迫力もあった。

 

私は昭和の時代のその当時はローカル線沿線で育ったこともあり、この時代の列車の風景写真を見るのが好きだ。

美しい風景に国鉄時代の客車やディーゼル列車は良く似合う。

JRになって、不採算路線はどんどん整理され、ワンマン列車になったり、車両の老朽化で新しい最新の車両に変わっているが、やはり国鉄時代の列車でないと

ローカル線の良さは被写体にはならないと思う。

 

今ではまず見ることはないけれど、郵便列車や荷物列車に旅客用客車が連結されて走っていたり、荷物列車か旅客列車かわからないような列車も

あたりまえのように走っていた。

面白い列車と言えば、近鉄線に伊勢志摩魚行商組合連合会の会員だけが乗車できる”鮮魚列車”と呼ばれる団体専用列車が上本町~宇治山田間を1往復しているらしい。

(ちょっと驚き。。)車内には当然のごとく魚のにおいが充満しているという。。。

 

あの時代にもっとたくさん乗っておけばよかったと今になって思うこの頃である。